好きな曲を演奏できるようになる頃には、もう好きではなくなっているという話

読み終えるまでの目安: 5分

目次

私の趣味のひとつに、「ピアノの練習」があります

2023年時点で、誰かに習ったことはなく、あくまで独学の範囲内です
独学なので、課題曲を追求してコンクールに出場して…なんてことはやったことがなく、ずっと自分の好きな曲を自己満足で練習しています

さて、こうして楽器をやっていると、「そんな風に好きな曲を弾けたら楽しいだろうなあ」なんていわれることがあります

そうですね、私はその言葉の一部には同意します
一部には

少なくとも私にとっては、「好きな曲を演奏できて楽しい」と単純に表現できるものではないんです 🤔
結論からいうと、好きな曲を練習して演奏できるようになっている頃には、もう好きという感情ではなくなっています

では、私が好きな曲を演奏できるようになるまでの心境の変化を綴ってみますね

曲を好きになって、練習しようと決意する

まずはここからです!

好きな曲に出会ったらすごく高揚しますよね
「これを自分でも弾けるようになりたい!」なんて思っちゃいますよね

どんな楽譜がいいかななんて想像しながら、インターネットで探したり、自分で書いたりします

ワクワクが止まりませんね!

練習を始める

ついに練習を始めました

それはもう毎日楽器を触ります
最初は全然うまくいきませんが、弾けるようになるために反復練習をし続けるんですね

うまくいかない瞬間はつまらないしムシャクシャしますが、それでも「好き」の気持ちが自分を突き動かすんですね

徐々に上達し、曲への理解を深める

ここです

先にいいます
ここがピークです

練習を繰り返したことで、たまにうまくいく、みたいな感じになってきます
「弾けるようになってきた!」と成長を自覚し、どんどん意欲が湧いてきます 💪

さらに、中盤まで差し掛かってくると、「ここ、こんな風になってたのか!!」「なんて美しい曲なんだ… 🤯」といろんな発見があり、興奮のあまりぶっ倒れそうになります
自分で演奏するわけなので、曲の構成がどうなっているのか、どんな和音で構成されているのかなんかがわかるわけです

練習を通して曲の内側まで知ることができる
そして、それは自分たち演奏した者にしかわからない

こういう瞬間が本当にたまらないんです

さて、ここがピークとなると、この先はどう変わっていくんでしょう?

曲の最後に到達する

そのまま練習を続け、ついに曲の終わりに到達します

ここまでの道のりは長かった…
演奏のクオリティはまだまだですが、とても大きな達成感が迎えてくれます

今までずっと練習してきたこの曲に対して、もっともっと深く好きになっているはず!

と思うじゃん?

あーあ、悲しい

ぶっちゃけ、もう「好き」という気持ちはほとんど忘れてしまっています

前はあんなに好きだったじゃないですか
中盤にはこの曲を内側からも知って、最初の頃よりもっと好きになったはずですよね

でも、なんというか、わかりやすくいうと「飽き」です

最後に到達する頃には、もう何度も何度も聴いて、練習して、練習して、練習しまくっているんです
それはもう何度も

まあ普通に考えたら飽きるのも当然ですよね
日常生活で聴いているだけでも飽きるのに、それを自分で演奏してもっと多く聴くんですから

それに、内側からも知ってしまうのが余計に悪さをします

「その曲の全てを知り、全てを手に入れた」みたいな感覚になってしまうんです
なんとなくわかりますかね

「手に入れる」とは「求める」の終わりです
どうも人間って、求めていたものを手に入れてしまうと、そこに向けていた関心を失ってしまうみたいです

これも考えてみたら当たり前ですね
恋愛で例えてもいいし、ゲームをコンプリートしたときで例えてもいいし

とまあ、こんな感じです

実際、終盤は「ここまでやってきたんだから…」「あとちょっとだ…」と半ば重苦しい気持ちでやっていたりします

それでも、もう終わりです!
最後まできたんですからね!

…と思うじゃん?

違います 😋

ここからが本番

最後まで弾けるようになって終わりではありません

むしろ、ここからが本当の練習です

たしかに最後まで到達しましたよ
けどね

演奏のクオリティはまだまだですが、

そうです
クオリティを上げる練習が残ってますよ ☺️

残っているどころか、なんならこっちのほうが長いんです
10点から 60点に上げるのと、90点から 100点に上げるの、どっちが難しいと思いますか?

ま、わかりますよね〜

ここからが本番というのは、決して誇張ではありません
本当に長く険しい練習が待っています

まず、いい演奏とは何でしょう?

解釈は人それぞれですが、私は「正確」かつ「表現力が豊か」な演奏だと思います

これって、ものすごく難しいことなんです
正確に弾けるようにするのでさえ大変で、さらに表現まで追求するわけですからね
というか、表現というのは繊細なコントロールのもとに成り立つので、正確に弾けるようになって初めて表現のスタートラインに立てる、みたいな感じです

もちろん、私はほどほどのところで妥協します
これを本当に高いレベルでやってのけるプロはガチでモンスターですよ

私も妥協するとはいえ、本当に何度も何度も練習するんですよ
何度も何度も何度も何度も何度も

基礎訓練もやって、曲の練習もやる
こっちがうまくできるようになったと思ったら、今度はこっちが疎かになったりして
それを繰り返したりもして

この長い練習にもいつか終わりが来るのでしょうか?


ありません

なんか目が虚ろになってそうですね

このように、最後まで走り切った時点で「好き」を忘れかけていたというのに、それでも練習を続けます

もうこの曲のことをものすごく嫌いになっているのでは??

…と思うじゃん?

もはや自分の一部になる

確かに「好き」の気持ちはほとんどありません
けれど、「嫌い」になったりはしないみたいです

ずっと練習を続けていると、なんだかその曲が自分の一部みたいになるんです
身内みたいな
「好き!」とはならないけど、かといっていなくなるなんて考えられない、みたいな

思えば何でも似たような結末になりそうですよね

「好き」から徐々に関心を失ってしまうけど、最終的には自分の一部みたいになるという話でした

うーん
当たり前のことを書いただけだった

私も結末までこの記事を書いて、なんだかもう関心を失ってきました
終わり方を決めないままここまできたんですが、もうこれをオチってことにしていいですかね

終わりです

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください